国家賠償訴訟の展開

島崎 崇

ここでは、私の提起した国家賠償訴訟について、提訴から判決に至るまで、一連の経緯を知ることができる。各口頭弁論に於ける原告(私)、被告、裁判官のやり取り、又、その時々に私が考えていたことを以下に記載する。私と同様、公認会計士試験受験被害者で国家賠償訴訟を考えている人、或はその他の民事事件でも本人訴訟をする人は、参考にされたい。


提訴から判決まで


2012年7月30日、提訴

2ヶ月ほど前から準備してようやく書証(甲1号証の1〜甲20号証)と訴状が出来上がった。訴状正本に貼付する印紙を購入するには、少し勇気が必要だった。何故なら、印紙購入によって私の現金及び現金同等物が何分の一かに急落するからである。7月30日、長野地方裁判所の窓口に、訴状と書証を提出した。予納郵便切手の金額が分からなかったので、窓口で聞き、近くで購入して提出した。


2012年9月18日、第1回口頭弁論

裁判官は、山本剛史という人であった。廊下壁面の掲示によると、被告代理人は、横山正司と記載してあったが、もう1人来ていた。開廷して訴状陳述した。被告からは、原告の請求を棄却するという趣旨であるが、内容のない答弁書が提出されていた。裁判官が次回期日を決めようとしたところで、被告から、「原告の請求は民法に基づくのか、それとも国賠に基づくのか?」という質問があったが、私はその時点で国家賠償法について殆ど認識がなかったので、「分からない。後で調べてから回答する。」と答えた。私の回答は10月18日までに、それに対する被告の準備書面は12月3日までに提出するよう、山本裁判官が日程を定めた。そして、次回期日は、12月11日と随分先に決められた。


2012年12月11日、第2回口頭弁論

私は、前回の質問に対する回答を記載した準備書面を早々9月29日に提出していた。前回、私は「回答期間は1ヵ月あれば良い」と答えたが、それほど要らなかった。インターネットで調べると、主張の根拠となる条文は記載する義務がないということが分かったので、「私の請求は、国家賠償法第1条も関係しているようである。原告の主張が正しいかどうかは、裁判所が法令に照らして判断することである。」という趣旨の回答をした。

被告からは、11月30日付けの準備書面が届いていた。私の主張に対する反論が記載されていた。書証も大量にあった。乙号証には、余り関係のないものも多く含まれていたが、公認会計士試験の試験制度を裁判官に説明するのに役立ちそうである。

私は、口頭弁論当日、予め窓口に求釈明申立書を提出してみた。行政文書開示請求を行っても開示されなかった試験の「科目別正解率」と「得点階層分布グラフ」の提出を被告に促したのである。私は、これらのデータを入手して、私が提出した書証のうち、同一年の短答式試験の公平さ(PDF)と、自己成績の分析(PDF)に於いて、私の推測に因っていた部分を事実に基づく主張に置き換えたかったのである。尚、この回以降、被告代理人は、毎回5人くらいが出廷している。次回期日は、翌年1月9日に決められた。


2013年1月9日、第3回口頭弁論

私は12月21日に準備書面2(PDF)を書き上げ、新たな書証と共に裁判所に郵送していた。当日、これを陳述したが、それに対して被告は、「次回までに書面での反論を予定していない」と述べた。十数枚の書面に対して、何も反論がないとはどういうことなのか、私は不思議に思った。

帰ってからその意味を色々と考えてみた。他の事件に忙しくて、注目されない小さな事件には手抜きをするということなのだろうか? 否、そんなことは無いだろう。恐らくは、私の主張が的外れで、反論しなくても私に勝ち目がないということなのだろう。私としては、準備書面2の中で、被告の準備書面に対して一通り反論したつもりだったが、私が勝つために必要な要素が何か欠けていたのかも知れない。


2013年2月19日、第4回口頭弁論(結審)

前回の発言の通り、被告は何もしてこなかった。私は、前々回に提出した求釈明申立書に被告が応じてくれなかったので、当日、今度は民事訴訟法第220条4号に基づく文書提出命令申立書を提出した。口頭弁論が始まると、山本裁判官は直ぐに、文書提出命令申立書について意見があるかどうか、被告に質問した。被告は「必要性がないから却下すべき」と即答した。それを受けて、山本裁判官は、「必要性が無いと判断して却下する。」と述べた。私はそのときは「必要性が無い」という意味が良く分からなかった。続いて、彼は結審を宣言した。私は予想していなかった展開に戸惑ったが、黙って席を立った。その後、山本裁判官による3件の判決言い渡しがあったので、一人、傍聴席でそれを聞いてから退廷した。

後でよく調べてみると、文書提出命令申立書が却下されたのは、「証拠調べの必要性がない」と裁判官が判断したことが判明した。つまり、裁判官の心証は既に形成されており、新たに「科目別正解率」と「得点階層分布グラフ」のデータが出たところで、判決に影響を及ぼさないのである。又、それ故に、裁判官は早々と結審したのだった。

しかし、私の文書提出命令申立書に対する裁判官の決定手続きには、幾つかの問題点が見つかった。先ず、民事訴訟規則第140条2項に、「相手方は、文書提出命令の申し立てについて意見があるときは、意見を記載した書面を裁判所に提出しなければならない。」とある。しかし、実際には、裁判官は口頭で質問し、それに対して被告は口頭で意見を述べた。書面によっていないので、この被告の意見は無効である。民事訴訟規則第140条2項によれば、裁判官は被告に対して書面による意見表明の機会を与えなければならなかったはずである。従って、それを省略して結審した裁判官は手続きを誤った。

次に、民事訴訟法第223条3項には、「裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について、第220条4号を提出義務の原因とする文書提出命令の申し立てがあった場合には、その申し立てに理由が無いことが明らかなときを除き、... 監督官庁の意見を聴かなければならない。」とある。私の請求している文書は、恐らく「公務員の職務上の秘密に関する文書」に該当するだろう。又、当該文書は、本事件に無関係の文書ではないので、「理由が無いことが明らか」とは言えない。つまり、この点からも、文書提出命令を即日に却下した裁判官の手続きは、法律違反の疑いが強い。

私は、これらの点に噛み付く手掛かりを探してみた。すると、裁判官の忌避(民事訴訟法第24条)、訴訟指揮等に対する異議(同法第150条)、口頭弁論の再開(同法第153条)などの手段があることが分かった。しかしながら、このような些細な違法行為に対してこれらの手段を取ったところで、仮に判決期日が延期されるようなことになったとしても、判決を下す裁判官が山本剛史であることに変わりはなく、彼が既に心証を固めてしまっている以上、判決に影響を及ぼす可能性は殆どないのであろう。私は、山本裁判官の非を見逃してやり、このまま判決まで待つこととした。

私は、第4回口頭弁論の終了後、4回分の口頭弁論調書の謄本を入手した。それによると、各口頭弁論での原告、被告のやり取りはほぼ正確に記載されていた。しかし、「出頭した当事者等」に記載されている被告指定代理人の氏名が、どうもおかしい。第1回は、横山正司ともう1人だけだったはずだが、調書上、被告は合計4名いる。私は、法廷内で被告代理人に対して名前を一々聞かなかったので、横山正司以外は顔と名前が一致しない。出頭した被告の名前は、きちんと確認しておくべきだった。そう言えば、法廷内に置かれた、出頭者のサインを記入する用紙に、被告がサインしたところを見たことが無かった。この調書の虚偽記載が、後で何も影響しないことを祈る。

4回の口頭弁論を改めて振り返ってみると、この間、準備書面や書証の内容について、山本裁判官から一切の質問が無かった。原告に対して、そして被告に対してもそうであった。又、彼は、原告の本人尋問をしなかったし、陳述書の提出を求めることもなかった。和解についても、一言も言及しなかった。そのため、私は、彼が何を考えているのか、争点はどこにあるのか、最後まで伺い知ることができなかった。しかし、やはり、最後に被告が何も反論してこなかったので、私に勝算は殆ど無いということなのだろう。仮にこれで被告が素人相手に敗訴するようなことになれば、担当代理人の面目が丸潰れになってしまうからである。

私は敗訴しても、控訴しない。正確には、必要な印紙を購入する資金がないため、控訴できないのである。どうやら、ゲームオーバーが近いようだ。最後に、勝敗以外の部分で、私が準備書面2(PDF)で主張した、公認会計士・監査審査会による公認会計士法第5条違反について、判決文の中で認めてくれることを少し期待している。


2013年3月19日、判決

私は、判決の言い渡しは聞きに行かずに、判決文が送られてくるのを待っていた。2日後、特別送達郵便が届いた。判決主文は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」というものであった。つまり、私の敗訴である。判決文は7頁に渡って記載されていたが、そのうち原告の主張と被告の主張の概要を述べた部分が大半を占めており、肝心の「理由」は、僅か1頁程度であった。それは、被告が第1準備書面で引用した最高裁の判例を拡大解釈したようなもので、次のように記載されていた。


(1)公認会計士試験における手続き的瑕疵が主張された場合や試験の成績以外の他事が考慮されたと主張された場合には裁判所の司法審査が及ぶと解するのが相当であるが、公認会計士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力の有無の判断や公認会計士試験の運営の当否の判断については資格試験という性質上試験実施機関の最終的な判断に委ねられていると解するのが相当であり、裁判所がその判断の当否等を審査し、具体的に法令を適用してその紛争を解決することができるものとはいえない。

(2)本件において原告が主張するのは、原告は平成22年第U回及び平成23年第U回の短答式試験において本来は合格していたにもかかわらず、審査会が同一年の短答式試験を著しく不公平にした結果、いずれも不合格になったなどというものであり、公認会計士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力の有無の判断や公認会計士試験の運営の当否を問題とするものであって、原告は、司法審査が及ばない問題について主張しているものであるというべきである。

(3)そして、司法審査が及ばない問題について違法行為であるとの主張をしても、裁判所においてその点について審査して損害賠償を命ずることはできないのであるから、原告の請求は理由がない。

これらの文の意味するところは、説明不足の箇所を私の想像力によって補ってみると、以下のようになる。

(1)公認会計士試験における手続き的瑕疵が主張された場合や試験の成績以外の他事が考慮されたと主張された場合には、誰の目にも白黒がハッキリしていて判断が容易であり、如何に馬鹿な裁判官であっても正しい判決を下すことが期待できるため、そのような場合に限って山本剛史が裁判官を務める裁判所の司法審査が及ぶと解するのが相当であるが、公認会計士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力の有無の判断や公認会計士試験の運営の当否の判断については資格試験という性質上試験実施機関の最終的な判断に委ねられていると解するのが相当であり、合否判定が如何に異常なものであろうとも、試験運営が如何に不当なものであろうとも、受験者に如何なる損害を与えようとも、損害の及ぶ受験者が如何に多くなろうとも、山本剛史裁判官が面倒な事件だと感じた場合には、裁判所がその判断の当否等を審査し、具体的に法令を適用してその紛争を解決することができるものとはいえない。

(2)本件において原告が主張するのは、原告は平成22年第U回及び平成23年第U回の短答式試験において本来は合格していたにもかかわらず、審査会が同一年の短答式試験を著しく不公平にした結果、いずれも不合格になったなどというものであり、公認会計士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力の有無の判断や公認会計士試験の運営の当否を問題とするものであって、原告は、原告の統計学的な主張を十分に理解できないにもかかわらず原告に対して一言も質問することなく、これを一切無視することで実質的に事件の審理を回避し、原告の裁判を受ける権利を踏みにじってでも安直な判決を下して早々と仕事を片付けることを最優先に考える、姑息でずる賢い山本剛史裁判官による司法審査が及ばない問題について主張しているものであるというべきである。

(3)そして、正義感が著しく欠如し、感性が腐り果て、利己目的で職権を濫用する、卑怯極まりない山本剛史による司法審査が及ばない問題について違法行為であるとの主張をしても、当該悪徳裁判官による不法行為が日常的に行われている裁判所においてその点について審査して損害賠償を命ずることはできないのであるから、原告の請求は理由があると認められ、被告は原告に対して当然に損害賠償責任を負うべきであるにもかかわらず、山本剛史の手に掛かってしまった以上、国をひいきした不当判決が下されることは止むを得ない。

ここで、(1)又は(2)中、司法審査が及ばない対象に「公認会計士試験の運営の当否」を含めているが、これは被告が引用した最高裁判例(昭和41年2月8日第3小法廷判決)では触れられていない。この最高裁判例には、「法令の適用によつて解決するに適さない単なる政治的または経済的問題や技術上または学術上に関する争は、裁判所の裁判を受けうべき事柄ではないのである。国家試験における合格、不合格の判定も学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、その試験実施機関の最終判断に委せられるべきものであつて、その判断の当否を審査し具体的に法令を適用して、その争を解決調整できるものとはいえない。」と記載されているに過ぎないのである。

試験の運営は、公認会計士試験の場合、公認会計士法の規定に従って行われる。つまり、もし公認会計士法に違反する試験運営が行われれば、それは明らかに司法審査の対象になるのである。ここで、公認会計士・監査審査会が2009年以降に行った公認会計士試験は、「公認会計士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定すること」をその目的としていないため、公認会計士法第5条に違反している。故に、国家賠償法第1条1項に基づき、公認会計士・監査審査会は、その違法行為によって損害を被った受験被害者に対して、損害賠償責任を負うのである。

私が期待していた公認会計士法第5条違反については、私が準備書面2であれだけ強く主張していたにもかかわらず、判決文の中で完全に無視されていた。恐らくは、被告の違法行為が明らかなので、裁判官はこの点を問題にして長々と真っ当な判決文を書くよりは、これを避ける楽な道に惹かれたのだろう。「裁判所の司法審査が及ばない」と言って原告の請求を一蹴する判決を下すことが、裁判官にとって最も手軽な仕事なのである。山本剛史は、原告の裁判を受ける権利を踏みにじり、裁判官としての職責を全く果たさなかった。

調べてみると、山本剛史は、過去にも他県の地方裁判所で、国をひいきして不当判決を下した前歴があるらしい。私は運悪く、酷い裁判官に当たってしまったのだ。しかし、山本剛史以外の裁判官であれば、私に十分勝ち目があっただろう。もし、どうやっても、私或は私と同様の事件を提訴した者に勝ち目が無いというのなら、私と同様の受験被害者は、全く救済されないこととなる。そんなことは、法治国家では、受け入れられない。それとも、この日本は、事実上、一部の近隣諸国と同類の、正義の存在しない野蛮国家に過ぎないのだろうか?

山本剛史が裁判官として生きている限り、その地域の正義は保証されない。この裁判官を追放し、誰でもいいから、例えば、ハローワークを訪れた求職者をテキトーに選んで、長野地方裁判所の裁判官の席に座らせるべきである。その方が長野県の住人にとって遥かに良い選択である。

私は、金融庁による投資詐欺事件で被った損害を回復するという当初の目的を、達成することができなかった。それどころか、司法に対する失望から、更なる精神的苦痛を被ることとなった。無念であるが、私に対して重大な権利侵害行為を働いた金子晃、友杉芳正、山本剛史らが私の目の前に現れない限り、私に残された反撃手段は、これらに相応の天罰が下されることを祈ることのみとなった。しかし、仮に、これらを、それぞれ100回、極刑に処したとしても、私は、金融庁による投資詐欺事件によって失った私の人生の一部を、もはや、取り戻すことが、できない。


訴追請求

私はその後、裁判官を弾劾によって罷免する制度があることを知った。何名かの国会議員で構成された訴追委員会が、弾劾裁判所に訴追して、不当な裁判官を罷免することができるのである。そして、裁判官弾劾法第15条1項によると、「何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる」のである。私は、この制度を利用して、山本剛史裁判官の罷免を求めることとした。

裁判官は、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき」或は「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」には、弾劾によって罷免される(裁判官弾劾法第2条)。山本剛史裁判官は、原告の裁判を受ける権利(憲法第32条)を侵害した。この憲法違反行為は、職務上の義務に著しく違反しているので、これを根拠に山本剛史裁判官の罷免を訴追することができるだろう。

私は、2013年8月になって、山本剛史裁判官を罷免するための訴追請求状を書いた。そして、8月29日、この訴追請求状を、口頭弁論調書、判決書などの証拠書類と共に、裁判官訴追委員会宛てに郵送で提出した。


国家賠償訴訟

© 2013 島崎 崇
更新: 2013年9月1日