トランス脂肪の規制には、大きく分けて、トランス脂肪を含む油脂の使用を禁止する方法と、食品容器にトランス脂肪の含有量を表示させる方法の、2つの方法がある。表示義務は、店頭に並ぶ食品には有効であるが、飲食店で提供される食物に対しては規制しにくいという欠点がある。一方、トランス脂肪を含む油脂の使用禁止は、これらの何れも対象とすることができるため、効果は大きい。とは言え、表示義務は、消費者の知る権利に応えることができるという利点がある。一気にトランス脂肪を根絶せずに、少量のトランス脂肪を含む油脂の流通を許容するのであれば、表示義務を設ける意義は大きい。
デンマークは、世界に先駆け、2003年にトランス脂肪の使用禁止措置を始めた。これは、2%以上のトランス脂肪を含む油脂を禁止するというもので、その結果、部分水素添加油は排除された。米国では、2006年からトランス脂肪の含有量について容器への表示が義務付けられた。又、ニューヨーク市では、2007年から飲食店でトランス脂肪を含む油脂の使用が禁止されている。その他スイス、カナダ、オーストラリア、韓国、ブラジルなど、多くの国でトランス脂肪の使用禁止又は表示義務化が進んでいる。一方、日本に於いては、2012年になっても、未だに使用禁止もなければ、表示義務もない。
トランス脂肪の規制に関しては、2012年現在、消費者庁と食品安全委員会が担当している。何れも内閣府に属する機関である。他にも農林水産省が関係しており、一つの機関に統合されていない。このため、業務重複による無駄、責任回避等、いわゆる縦割り行政の弊害が生じている。
消費者庁の取り組みは、トランス脂肪酸に関する情報に於いて知ることができる。このうち、2011年2月21日公開の報告書トランス脂肪酸の情報開示に関する指針について(pdfファイル)について考察してみる。
報告書によると、「食品事業者に対し、トランス脂肪酸を含む脂質に関する情報を自主的に開示する取組を進めるよう要請することとした。」とある。つまり、トランス脂肪の規制が進んでいる諸外国に追従することはせず、日本では今までどおり何も規制しないと言っているのである。企業任せで我々は何もしないとは、無責任極まりない話である。
使用禁止又は表示義務を導入しなければ、消費者庁の要請を無視する業者は存在することになる。又、規制を作っても、違反者に罰則を課す制度を設けなければ、意味がない。更に、罰則を設けても、取り締りを行わなければ、違法行為を許すことになる。規制が守られているという信頼性が保証されるためには、義務化、罰則の制定、取り締まりの3点が欠かせない。他の社会制度との整合性の観点からも、現在の日本で性善説に頼ることは認められない。
又、「トランス脂肪酸には、天然由来(反すう動物由来)のものと工業的に作られたものが存在するが、これらを正確に区別して分析することができないため、区別して取り扱わない。」とある。これは明らかにおかしい。ここで問題となっているトランス脂肪は、硬化油に含まれている人工のトランス脂肪に限られる。元々自然に存在しているトランス脂肪は、有害どころか、健康効果が認められている。毒と栄養を区別せずに一緒に扱うというのは、根本的に間違っている。「正確に区別して分析することができない」などというのは、区別しない理由にはならない。この報告書を書いた輩は、世界に言葉が先に存在していて、その言葉から物質が誕生したとでも思っているのだろうか? この根本的な認識の誤りは必ず正す必要がある。
食品安全委員会では、新開発食品専門調査会という組織がトランス脂肪の問題を担当している。最近は、「2012年2月21日、食品安全委員会は、国内での規制は不要とする内容の評価書をまとめた。」というニュースがあった。「大多数の日本人はトランス脂肪酸の摂取量がWHOが示す基準よりも低いため」というのが規制しない理由だという。このWHOの基準は、「トランス脂肪酸の摂取量が総カロリーの1%未満」というものである。
この評価書の詳細を第83回新開発食品専門調査会で公開されているpdfファイルで確認してみた。この会は専門家14名で構成されている。新開発食品評価書「食品に含まれるトランス脂肪酸」(2012年2月21日)には、トランス脂肪酸の情報、病気のリスク、海外の取り組みなどが詳細にまとめられている。肝心の要約(6頁)又は結論(73頁)を読んでみると、確かに一言もトランス脂肪の規制について触れられていない。
評価書では、WHOの勧告を受け、「日本人のトランス脂肪酸のエネルギー比の平均値」に着目している。表14-1に32470人について調査したデータが載っている。エネルギー比の平均値は0.3%〜0.4%程度とWHO基準の1%を大きく下回っている。エネルギー比の分散については載っていないため、1%を超える人が日本に何人いるのか、不明である。
35頁には、99パーセンタイルという言葉が出てきているが、これは表17-2について述べているものである。この表17-2は、25頁を読むと、日ごとの変動の分布に於ける99パーセンタイル値を表していることが分かる。この着眼点は、的外れである。トランス脂肪は、長期的に体内に蓄積して害をもたらすので、個人の日々の変動を見ても丸で意味がない。人による変動を分析しなければならない。99パーセンタイル値がエネルギー比1%を超える超えないと論じているが、全くの空論である。この感性の鈍さ、知能の低さは、救い難い。
このでたらめの99パーセンタイルは、71頁の「摂取量の推定」、73頁の「結論」にも引用されている。そして、6頁の「要約」にはこの誤りに基づいて「日本人の大多数がWHO基準を下回っている」と記されている。ここで、評価書の文脈から、「大多数」は「99%以上」を意味している。この欠陥が評価書の要である要約及び結論部分に含まれているため、この評価書の意義は著しく損なわれている。更には、日本人の大多数がWHO基準を下回っていることを理由に規制しない、とした判断も、論拠を失っている。
しかしながら、たとえ99パーセンタイル値が人による変動に基づいた正しいデータであったとしても、ここに着目するという発想自体がおかしい。これは、言い換えると、99%の国民の健康は気に留める必要があるが、不健康な1%(約130万人)の国民は見捨てても構わない、という意味だからである。
確かに、トランス脂肪のエネルギー比が高い人の食生活は決して褒められたものではなく、非難に値するだろう。しかし、関係省庁は、これらの人を見捨てるべきではなく、むしろ健康増進を促す義務がある。そのためには、トランス脂肪の使用禁止を導入してエネルギー比1%以上になり得ない状況を作り出すか、或は表示義務を課すことで注意喚起しなければならない。この観点から、トランス脂肪について何も規制しないという今回の食品安全委員会の結論は、妥当ではない。たとえ、本当に日本人の大多数(99%)がWHO基準を下回っていたとしても、これが規制をしない理由にはならない。
現状では、日本ではトランス脂肪を含む油脂の使用禁止がなく、店頭に並んだ加工食品や飲食店で提供される料理にトランス脂肪が含まれている可能性がある。このため、消費者は、日本で生活している限り、トランス脂肪による健康被害のリスクに晒されている。もし、加工食品への表示義務があれば、消費者は店頭で購入する加工食品についてはトランス脂肪の含有量を確認することができ、リスクを避けることが可能となるが、これもできない。日本の消費者は、リスクに晒され続け、更にリスク回避手段も否定されているのである。
行政機関は、当然に、このリスクを取り除くか、或は国民が自らの判断でリスクを回避することができる手段を提供しなければならない。即ち、トランス脂肪に関する使用禁止又は表示義務を設けなければならない。WHOの数値を気にするよりも、この観点の方が遥かに重要であるが、食品安全委員会はこの点を理解していない。食品メーカーに自主的な取り組みを期待する一方、消費者をないがしろにする無責任な姿勢は、全く支持されない。挙句の果てには、下手な弁解をしてトランス脂肪の規制は必要ないなどと国民の利益に反する結論を導くのだから、言語道断である。マイナスの仕事をするくらいなら、仕事をしない方が良い。食品安全委員会なる組織は、撤廃した方が日本国民にとってプラスになるだろう。